匿名の投稿者に損害賠償を求めるには、その前に発信者情報開示の手続で投稿者を特定しなければならず、その段階で弁護士費用と実費がかかります。「特定に費用をかけても、取り戻せる額の方が少ないのではないか」という不安は、相談で最も多く聞くもののひとつです。この記事は、投稿者の特定にかかった費用を、裁判所が投稿者に対する損害としてどこまで認めているかを、当事務所の裁判例データベースに収録した判決の数字で整理したものです。
対象は、投稿者本人に対する損害賠償の判決のうち、特定にかかった費用(発信者情報開示の仮処分・訴訟・開示請求の弁護士費用と実費。判決では「調査費用」「開示請求費用」などと呼ばれます)の扱いを判断した26件です。あわせて、法務省民事局の2026年4月の調査報告書の集計も紹介します。慰謝料の額そのものは「ネット上の誹謗中傷の慰謝料・損害賠償額の一覧」に、請求を受けた側の視点は「投稿者として損害賠償を請求された方へ」にまとめています。
要点
- 特定にかかった費用の扱いを判断した判決26件のうち、支出した額の全部を損害と認めたものが11件、減額して一部を認めたものが9件、独立の項目とせず訴訟の弁護士費用や慰謝料の中で考慮したものが5件、損害と認めなかったものが1件です。全部または一部を認めた判決が4件に3件を占めます。
- 2020年以降の判決5件では4件が全額を認めています。東京高等裁判所は、開示訴訟の弁護士報酬は「特段の事情のない限り、その全額」が損害になるとし(令和2年1月23日判決)、原審が3万円しか認めなかった88万5600円の全額を認めた例もあります(令和3年5月26日判決)。
- 全額が認められた判決の特定費用は33万円から227万円余(中央値54万円)です。一部にとどまった判決では、支出額の7%から46%(中央値12%)しか認められていません。分かれ目は、支出を証明する資料の有無、開示手続の対象に賠償の対象でない投稿が含まれていたか、慰謝料の額との釣り合いです。
- 全額が認められた7件のうち3件では、特定費用の認容額が慰謝料を上回っています。特定費用を全額認めた判決の認容総額の中央値は124万3000円で、投稿者に対する損害賠償の判決全体の中央値55万円の2倍を超えます。
- 法務省民事局の2026年4月の調査報告書では、開示請求等の費用を独立の損害として請求した35件のうち全額認容は28.6%、一部認容は60.0%で、慰謝料が50万円以上の事案では全額認容率が75%、30万円未満では11.8%でした。慰謝料が低い事案ほど、特定費用も削られる傾向があります。
- 費用倒れになりうるのは、開示が認められない投稿、慰謝料が10万〜30万円にとどまる短い投稿、投稿者に支払能力がない場合です。「必ず回収できる」とはいえませんが、犯罪事実の摘示や顔写真・実名の掲載を伴う投稿では、慰謝料と特定費用を合わせて100万円を超える判決が続いています。
1. 投稿者の特定と損害賠償にかかる費用の内訳
匿名の投稿者に賠償を求めるまでには、通常、3つの手続を順に進めます。費用はそれぞれの段階でかかります。
- サイト運営者への開示請求 X(旧Twitter)、Instagram、掲示板などの運営者に対し、投稿に使われたIPアドレスやタイムスタンプなどの開示を求めます。任意の開示に応じない運営者が多いため、裁判所の手続(仮処分または発信者情報開示命令)になります。海外の運営者が相手の場合は、翻訳などの実費も加わります。
- 接続プロバイダへの開示請求 IPアドレスから判明した携帯電話会社や光回線の事業者に対し、契約者の氏名と住所の開示を求めます。プロバイダは契約者に意見照会をしたうえで、裁判所の判断がなければ開示しないのが通常です。2022年10月に始まった発信者情報開示命令の手続では、運営者とプロバイダへの請求を一つの事件として進めることができます。
- 投稿者への損害賠償請求 開示された氏名・住所の投稿者に通知書を送り、示談交渉をし、まとまらなければ訴訟を起こします。この段階の弁護士費用の一部(認められた損害額の1割程度)は、判決で投稿者の負担になるのが通常です。
このうち最初の2つが「特定にかかった費用」です。判決文に支出額が現れている13件では、15万円余から227万円余までで、中央値は54万円、13件中12件は110万円以下でした。最も高い227万円余は、開示と削除の費用の合計です。金額の幅は、対象の投稿数、運営者・プロバイダの数、仮処分で済んだか訴訟まで必要だったかによります。当事務所の費用はFeeのページに載せています。
媒体ごとの開示の手続と見通しは、X(旧Twitter)、Instagram、Googleマップの各記事をご覧ください。
2. 判決は特定にかかった費用を損害と認めているか
投稿者本人に対する損害賠償の判決のうち、特定にかかった費用の扱いを判断した26件を分類すると、次のとおりです。全額を認めた判決が11件、減額して一部を認めた判決が9件、独立の損害項目とはせず訴訟の弁護士費用や慰謝料の算定の中で考慮した判決が5件、損害と認めなかった判決が1件です。全額と一部を合わせた20件(77%)で、特定にかかった費用が投稿と相当因果関係のある損害とされています。
時期による違いがあります。2013年から2016年の判決16件では全額5件・一部6件・考慮4件・否定1件と分かれていましたが、2020年以降の5件では全額4件・一部1件です。高等裁判所の判決2件はいずれも全額を認めています。
全額を認めた判決の理由 匿名の投稿者を特定しなければ損害賠償を請求できないこと、手続に専門的な知識が必要で被害者が自分で行うのは困難なことが、共通する理由です。東京高等裁判所令和2年1月23日判決(令和元年(ネ)第3668号)は、発信者情報開示請求訴訟の弁護士報酬は「民事上の損害賠償請求をするために必要不可欠の費用であり、通常の損害賠償請求訴訟の弁護士費用とは異なり、特段の事情のない限り、その全額」が損害になるとして、開示と削除の費用227万1687円を認めました。東京高等裁判所令和3年5月26日判決(令和2年(ネ)第4412号)は、原審が3万円しか認めなかった調査費用88万5600円について、被害者が弁護士に依頼せずに特定の手続を自ら行うのは「相当困難であって、被害者に対してこれを期待するのは酷である」とし、特定の手続は損害賠償訴訟の単なる準備行為ではなく、同じ弁護士が担当しても訴訟の弁護士費用と重複しないとして、全額を認めました。慰謝料は30万円のままでしたので、この判決の認容額121万5600円の7割以上が特定費用です。
地方裁判所でも、東京地方裁判所令和6年8月6日判決(令和4年(ワ)第30023号)は「発信者の特定が必要不可欠」であり、額が「不相応に過大なものでない限り」損害になるとして開示訴訟の弁護士費用33万円の全額を、東京地方裁判所令和6年2月8日判決(令和4年(ワ)第21828号)は弁護士に依頼するのが通常で相当な範囲内だとして43万2000円の全額を認めています。大阪地方裁判所平成29年8月30日判決(平成29年(ワ)第1649号)は仮処分と開示訴訟の弁護士費用58万6000円の全額、東京地方裁判所平成26年7月17日判決(平成25年(ワ)第16300号)は、プロバイダから開示を受けるために仮処分と訴訟が必要になることは「当裁判所に顕著な事実」だとして、削除と特定の費用51万8700円の全額を認めました。東京地方裁判所平成28年7月1日判決(平成28年(ワ)第7808号)では、被告が支出を争わなかったため54万円がそのまま損害になっています。
一部にとどまった判決の理由 減額の理由は大きく4つあります。
- 開示手続の対象に、賠償の対象でない投稿や他の投稿者の分が含まれていた 東京地方裁判所平成28年2月17日判決(平成27年(ワ)第9504号)は、弁護士報酬に他の行為者の分も含まれていることなどを理由に、74万4000円のうち8万円に限りました。東京地方裁判所平成30年1月10日判決(平成29年(ワ)第14157号)は、仮処分と開示訴訟はいずれも加害者の特定に必要な手続だったとしつつ、108万円のうち50万円を相当としました。前記の東京高等裁判所令和2年1月23日判決も、不法行為に当たらない投稿についての開示費用は損害に含めていません。東京地方裁判所平成25年12月11日判決(平成24年(ワ)第31731号)は、運営者への仮処分の報酬を問題の投稿に当たる分だけ割り振って認めました。
- 支出を証明する資料がない、実費しか認めない 東京地方裁判所平成25年9月25日判決(平成24年(ワ)第31587号)は、開示請求を経たことは認めつつ、調査費用の支出額を認める証拠がないとして、訴訟の弁護士費用と併せて30万円としました。前記の東京地方裁判所平成25年12月11日判決も、被告が開示に応じたため訴訟なしで情報を得ており、開示請求の報酬や交通費がどれだけ生じたかが証拠上はっきりしないとして、その部分を認めていません。東京地方裁判所平成26年11月28日判決(平成26年(ワ)第15271号)は、仮処分の実費と弁護士会照会の手数料だけを認め、弁護士への着手金は投稿と相当因果関係のある損害ではないとしました。
- 損害賠償の訴訟と重なる、弁護士に頼まなくてもできる 東京地方裁判所平成29年2月14日判決(平成27年(ワ)第31735号)は、開示の手続は投稿者を明らかにするために必要だったとしながら、弁護士に委任しなければ困難な類型の請求権だと直ちにはいえず、本訴と主張・立証が重なる部分があるとして、73万5000円のうち5万円に限りました。東京地方裁判所平成25年12月2日判決(平成24年(ワ)第32832号)も50万5500円のうち5万円です。この考え方は、前記の東京高等裁判所令和3年5月26日判決が明確に退けています。
- 慰謝料の額との釣り合い 大阪地方裁判所令和6年2月22日判決(令和5年(ワ)第6408号)は、慰謝料を各10万円としたうえで、仮処分・開示訴訟・本訴の弁護士費用を一括して慰謝料の2割(各2万円)に限りました。被害者は投稿者1人あたり15万円余の調査費用を請求していました。東京地方裁判所平成28年8月5日判決(平成26年(ワ)第31231号)は、29件の投稿の一部を免責としたうえで、特定費用52万5000円のうち10万円を認めました。
独立の項目としなかった判決 東京地方裁判所平成29年11月7日判決(平成28年(ワ)第29137号)は、調査費用を支払った事情を訴訟の弁護士費用の算定で考慮し、それを除いては相当因果関係を認めませんでした。東京地方裁判所平成28年6月21日判決(平成27年(ワ)第36231号)は、仮処分と開示訴訟を重ねた労苦を慰謝料の算定で考慮しています。大津地方裁判所彦根支部平成27年1月22日判決(平成26年(ワ)第125号)は、開示手続と本訴の弁護士費用を一括して45万円としました。
認めなかった判決 26件のうち1件、東京地方裁判所平成25年12月6日判決(平成24年(ワ)第15320号)は、支出の立証がないことに加え、開示手続の費用は本来その手続の相手方に負担を求めるべきもので、投稿者の行為による損害とはみられないとしました。2013年の判決で、その後の判決にこの考え方は引き継がれていません。
金額が判決文から分かる13件を表にまとめます。「支出額」は被害者が請求した特定費用の額、「認容額」は判決が損害と認めた額です。
| 判決・媒体 | 特定費用 支出額 → 認容額 | 慰謝料 | 認容総額 |
|---|---|---|---|
| 東京地裁令和6年8月6日 ブログ | 33万円 → 33万円(全額) | 80万円 | 124万3000円 |
| 大阪地裁令和6年2月22日 ホストラブ | 15万555円 → 2万円(本訴の弁護士費用と一括。投稿者1人あたり) | 10万円 | 12万円 |
| 東京地裁令和6年2月8日 掲示板 | 43万2000円 → 43万2000円(全額) | 100万円 | 157万5000円 |
| 東京高裁令和3年5月26日 5ちゃんねる | 88万5600円 → 88万5600円(全額。原審は3万円) | 30万円 | 121万5600円 |
| 東京高裁令和2年1月23日 2ちゃんねる | 227万1687円 → 227万1687円(全額。開示と削除の費用) | 150万円 | 414万1687円 |
| 東京地裁平成30年1月10日 掲示板 | 108万円 → 50万円 | 80万円(法人の無形損害) | 145万円 |
| 大阪地裁平成29年8月30日 SNS | 58万6000円 → 58万6000円(全額) | 60万円 | 130万6000円 |
| 東京地裁平成29年2月14日 2ちゃんねる | 73万5000円 → 5万円 | 50万円 | 60万円 |
| 東京地裁平成28年8月5日 掲示板 | 52万5000円 → 10万円 | 50万円(法人の無形損害)+代表者50万円 | 120万円 |
| 東京地裁平成28年7月1日 2ちゃんねる | 54万円 → 54万円(全額) | 100万円 | 169万円 |
| 東京地裁平成28年2月17日 2ちゃんねる | 74万4000円 → 8万円 | 10万円(法人の無形損害) | 20万円 |
| 東京地裁平成26年7月17日 電子掲示板 | 51万8700円 → 51万8700円(全額。削除と特定の費用) | 50万円 | 111万8700円 |
| 東京地裁平成25年12月2日 電子掲示板 | 50万5500円 → 5万円 | 20万円 | 30万円 |
このほかに、額の記載はないものの支払った全額を認めた判決が4件あります(末尾の一覧をご覧ください)。
3. 法務省の調査報告書が示す数字
インターネット上の誹謗中傷について認められる慰謝料の額が低いという指摘を受けて、法務省は、不法行為に基づく損害賠償に関する国内外の制度の調査・研究を進め、結果を法務省のページで公表しています。掲載されているのは、米国・英国・ドイツ・オランダ・韓国・中国の利益吐き出し型の損害賠償制度を調べた報告書(2024年度)、英国・ドイツ・フランスの裁判例を調べた報告書(2025年度)、そして国内の裁判例を集計した「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」(法務省民事局、2026年4月)の3本です。現時点で法改正や法案、審議会での検討が決まったという記載はありません。
3本目の報告書には、特定にかかった費用(報告書では「開示請求等費用」)の認容状況の集計があります。対象は、特定の民間データベースに登録された判決のうち、2022年・2023年と2012年・2013年に言い渡された、名誉権または名誉感情の侵害を認めて損害賠償を命じたものです。当事務所のデータベースとは対象も期間も異なるので、数字を混ぜずに紹介します。
- 開示請求等費用を独立の損害項目として請求した事案は35件。全額を認めたものが10件(28.6%)、一部を認めたものが21件(60.0%。うち8件は、開示請求の対象に賠償の対象でない投稿が含まれていたことを理由とする減額)、弁護士費用の中で考慮したものが1件、損害に当たらないとして全部棄却したものが1件、支出の証拠がないとして全部棄却したものが2件です。
- 認容額は、全額認容の事案で13万円から約73万円、一部認容の事案で1万円から85万円です。費用が高すぎることを理由に一部を否定した事案はありませんでした。
- 慰謝料の額との関係では、慰謝料30万円未満の事案で全額認容率が11.8%(17件中2件)、30万円以上50万円未満で33.3%(6件中2件)、50万円以上で75.0%(8件中6件)です。全額認容の事案の平均慰謝料は54.5万円、一部認容(対象外の投稿を理由とするものを除く)の事案では28.1万円でした。
- 高等裁判所の判断は3つに分かれているとし、全額を認めた例として東京高等裁判所令和3年5月26日判決と同令和2年1月23日判決など、慰謝料の一定割合(プロバイダ1社あたり10%)とした例として同令和3年5月12日判決、弁護士費用の中で考慮した例として同令和3年11月9日判決を挙げています。最高裁判所の判例は見当たらないとしています。
当事務所のデータベースの26件では全額認容が42%で、報告書の28.6%より高くなっています。当事務所の集計には2024年の判決と高等裁判所の判決2件が含まれ、報告書は2023年末までの一審判決を対象としていることが、差の一因と考えられます。一方で、慰謝料が低い事案ほど特定費用も削られるという傾向は、当事務所の集計とも一致します。全額を認めた7件の慰謝料は30万円から150万円で、一部にとどまった6件のうち3件は慰謝料が10万〜20万円でした。
4. 慰謝料と特定費用を合わせた認容額の水準
投稿者に支払を命じた判決の認容額(慰謝料、訴訟の弁護士費用、特定費用の合計)は、83件の中央値が55万円で、4件に1件は27万5000円以下、4件に1件は111万8700円を超えています。慰謝料だけの中央値は50万円です。
特定費用を全額認めた判決11件に限ると、認容総額の中央値は124万3000円です。一部にとどまった9件の中央値は60万円で、全体の中央値とほぼ同じです。認容総額が100万円を超えるかどうかは、慰謝料の額と同じくらい、特定費用が全額認められるかどうかで決まっているといえます。
特定費用が慰謝料を上回る例もあります。全額を認めた7件のうち、東京高等裁判所令和3年5月26日判決(慰謝料30万円に対し特定費用88万5600円)、同令和2年1月23日判決(150万円に対し227万1687円)、東京地方裁判所平成26年7月17日判決(50万円に対し51万8700円)の3件です。慰謝料が30万円でも、特定費用が全額認められれば認容総額は120万円を超えます。逆に、大阪地方裁判所令和6年2月22日判決のように、慰謝料10万円の事案で特定費用が2万円に限られると、認容総額は12万円にとどまります。
データベースに未収録の判決として、横浜地方裁判所令和6年5月24日判決(令和3年(ワ)第3425号)は、6年以上にわたりX(旧Twitter)とブログに繰り返された投稿について、本人に327万5000円、母に50万円の賠償を命じ、特定費用16万5000円は全額を認めています(取扱事件のページ)。
5. 判決が出ても投稿者が支払わない場合
判決で認められた額が、そのまま手元に入るとは限りません。投稿者が任意に支払わない場合、確定した判決(または仮執行宣言の付いた判決)に基づいて、給与や預金の差押えなどの強制執行をすることになります。投稿者の勤務先や取引銀行が分からないときは、裁判所の財産開示手続や、金融機関・市区町村などから預金口座や勤務先の情報を得る第三者からの情報取得手続(2020年4月施行の改正民事執行法)を使います。これらにも費用と時間がかかり、投稿者に収入も財産もない場合は回収できません。
当事務所のデータベースには、投稿者からの賠償金の回収そのものを扱った判決はありません。当事務所の経験では、判決の後に投稿者が自ら支払う例が6〜7割ほどで、残りは強制執行などを検討することになります。また、損害賠償の請求の5割ほどは、訴訟の前の通知書の段階での示談や、訴訟の中の和解で解決しています。いずれも統計を取ったものではなく、おおよその目安です。示談では、支払額だけでなく、投稿の削除、再投稿をしないこと、謝罪を条件にできます。
6. 費用倒れを避けるための判断の目安
判決の数字から、特定に費用をかけるかどうかを判断する目安を挙げます。
- 開示が認められる見込みがあるか 開示が認められなければ、かけた費用はすべて自己負担になります。氏名がなく一般の閲覧者が本人を特定できない投稿、具体的な事実を示さない感想や批評、公的な活動への批判で裏付けのあるものは、開示が認められにくい類型です。開示が認められなかった判決の類型は「発信者情報開示が認められなかった類型」にまとめています。
- 開示後の損害賠償が棄却される可能性 投稿者が特定できても、損害賠償の請求が棄却されれば特定費用は戻りません。東京地方裁判所平成28年4月26日判決(平成27年(ワ)第5753号)は、ペンネームの作者を揶揄した投稿について、閲覧者がペンネームと原告本人を結び付けられないとして、削除・特定費用を含む請求を全部棄却しました。投稿者に対する損害賠償の判決100件のうち、請求が全部棄却されたものは14件です。
- 慰謝料が50万円以上見込める投稿か 犯罪行為の摘示、性的な中傷、顔写真・実名・住所の掲載、数か月にわたる繰り返しの投稿では、慰謝料が50万〜150万円になり、特定費用も全額認められる傾向があります。他方、短い投稿1件や、噂をなぞっただけの投稿では、慰謝料が10万〜30万円にとどまり、特定費用も慰謝料との釣り合いで削られます。大阪地方裁判所令和6年2月22日判決では、特定に15万円余をかけて認容総額が12万円でした。費用倒れになりうる典型です。
- 対象の投稿を絞る 開示手続の対象に、違法性の弱い投稿や別の投稿者の投稿を混ぜると、その分の費用は損害に含められず、按分で減額されます(東京地方裁判所平成28年2月17日判決、同平成30年1月10日判決、東京高等裁判所令和2年1月23日判決)。多数の投稿がある場合、特定の対象は名誉毀損が明らかな投稿に絞る判断もあります。
- 支出の証拠を残す 仮処分・開示訴訟の委任契約書、請求書、振込の記録を保管します。支出の立証がないことを理由に、全部または一部を認めなかった判決が3件あります(東京地方裁判所平成25年9月25日判決、同平成25年12月6日判決、同平成25年12月11日判決)。支払が証拠で認められた範囲に限った判決もあります(同平成28年3月30日判決)。法人名義で支払った場合も、実質的に本人の負担であれば損害と認められた例があります(東京高等裁判所令和2年1月23日判決)。
- 時効 損害賠償の請求権は、投稿者を知った時から3年で時効にかかります。開示で氏名を知った時が起算点とされるので(東京地方裁判所令和6年2月8日判決)、開示後は早めに請求します。
- 回収以外の目的 特定の目的が賠償金の回収だけであれば、慰謝料の低い投稿では費用倒れになりえます。投稿を止めさせること、削除させること、再発を防ぐこと、刑事告訴の前提とすることも特定の目的に含めて、費用をかけるかどうかを決めるのが現実的です。
7. 引用した判決
本記事で触れた判決は次のとおりです。各リンク先に、事案の概要と判決理由の骨子があります。
- 特定費用の全額を認めた判決 東京高等裁判所令和3年5月26日判決(令和2年(ネ)第4412号) 5ちゃんねる。調査費用88万5600円の全額(原審3万円)、慰謝料30万円、計121万5600円。/東京高等裁判所令和2年1月23日判決(令和元年(ネ)第3668号) 2ちゃんねる。開示と削除の費用227万1687円は全額、刑事告訴の費用は否定、計414万1687円。/東京地方裁判所令和6年8月6日判決(令和4年(ワ)第30023号) ブログ。開示訴訟の弁護士費用33万円の全額、計124万3000円。/東京地方裁判所令和6年2月8日判決(令和4年(ワ)第21828号) 掲示板。特定費用43万2000円の全額、計157万5000円。/大阪地方裁判所平成29年8月30日判決(平成29年(ワ)第1649号) SNSのなりすまし。仮処分と開示訴訟の弁護士費用58万6000円の全額、計130万6000円。/東京地方裁判所平成28年7月1日判決(平成28年(ワ)第7808号) 2ちゃんねる。開示手続の弁護士費用54万円の全額、計169万円。/東京地方裁判所平成26年7月17日判決(平成25年(ワ)第16300号) 電子掲示板。削除と特定の費用51万8700円の全額、計111万8700円。/東京地方裁判所平成29年11月28日判決(平成27年(ワ)第17011号) 2ちゃんねる・ホストラブ。特定と削除の調査費用の全額、計74万9000円。/東京地方裁判所平成28年2月9日判決(平成26年(ワ)第4248号) 2ちゃんねる。投稿者3名。現実に支払った額の全額、計198万3850円。/東京地方裁判所平成28年3月30日判決(平成27年(ワ)第13822号) 2ちゃんねる。支払が証明された範囲の全額、計118万5800円。/東京地方裁判所平成28年7月21日判決(平成27年(ワ)第18507号) Yahoo!知恵袋。仮処分費用のうち本件投稿分と開示訴訟費用、計62万1060円。
- 一部を認めた判決 東京地方裁判所平成30年1月10日判決(平成29年(ワ)第14157号) 掲示板。108万円のうち50万円、計145万円。/東京地方裁判所平成28年8月5日判決(平成26年(ワ)第31231号) 掲示板。52万5000円のうち10万円、計120万円。/東京地方裁判所平成28年2月17日判決(平成27年(ワ)第9504号) 2ちゃんねる。74万4000円のうち8万円、計20万円。/東京地方裁判所平成29年2月14日判決(平成27年(ワ)第31735号) 2ちゃんねる。73万5000円のうち5万円、計60万円。/東京地方裁判所平成25年12月2日判決(平成24年(ワ)第32832号) 電子掲示板。50万5500円のうち5万円、計30万円。/大阪地方裁判所令和6年2月22日判決(令和5年(ワ)第6408号) ホストラブ。仮処分・開示訴訟・本訴の弁護士費用を一括して慰謝料の2割、投稿者1人あたり計12万円。/東京地方裁判所平成25年9月25日判決(平成24年(ワ)第31587号) 電子掲示板。支出額の証拠がなく弁護士費用と併せて30万円、計80万円。/東京地方裁判所平成25年12月11日判決(平成24年(ワ)第31731号) 電子掲示板。運営者への仮処分の報酬を問題の投稿分に按分、計12万3629円。/東京地方裁判所平成26年11月28日判決(平成26年(ワ)第15271号) ブログ。仮処分の実費と弁護士会照会の手数料のみ、計62万7600円。
- 独立の項目とせず考慮した判決 大津地方裁判所彦根支部平成27年1月22日判決(平成26年(ワ)第125号) 掲示板。開示手続と本訴の弁護士費用を一括して45万円、慰謝料150万円。/東京地方裁判所平成29年11月7日判決(平成28年(ワ)第29137号) 2ちゃんねる。弁護士費用の算定で考慮、計100万円。/東京地方裁判所平成28年6月21日判決(平成27年(ワ)第36231号) 電子掲示板。手続の労苦を慰謝料で考慮、計40万円。/東京地方裁判所平成28年6月2日判決(平成28年(ワ)第2674号) ウェブサイト。開示訴訟を余儀なくされたことを弁護士費用10万円の算定で考慮、計55万円。/東京地方裁判所平成28年12月16日判決(平成26年(ワ)第24521号) 掲示板。開示請求の弁護士費用を法人原告の無形損害の算定で考慮。
- 認めなかった判決 東京地方裁判所平成25年12月6日判決(平成24年(ワ)第15320号) 電子掲示板。立証がなく、開示手続の相手方に負担を求めるべきものとして否定、計55万円。
- 請求が全部棄却された判決 東京地方裁判所平成28年4月26日判決(平成27年(ワ)第5753号) 2ちゃんねる。ペンネームと本人の同定可能性を否定。
- データベース未収録 横浜地方裁判所令和6年5月24日判決(令和3年(ワ)第3425号) X(旧Twitter)・ブログ。本人327万5000円、母50万円、特定費用16万5000円は全額(取扱事件のページ)。
8. ご相談について
投稿者の特定と損害賠償の請求をご検討の方は、メールフォームからご相談ください。原則として翌営業日までに回答します。投稿の内容と媒体をお知らせいただければ、開示が認められる見通しと、上記の判決に照らした特定費用・慰謝料の見込みをお伝えします。費用についてはFeeをご覧ください。
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資料
- 集計の対象: 当事務所の裁判例データベースに収録している損害賠償の判決のうち、投稿者本人に対する判決100件(2013年〜2025年)。特定費用の扱いを判断した26件は、本文中で「調査費用」「開示請求費用」「特定費用」などに触れている判決を検索して抽出し、判決理由を読んで分類した。認容額の中央値(55万円)は認容額が判決文から分かる83件、慰謝料の中央値(50万円)は内訳が分かる51件による。
- 法務省民事局「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」(2026年4月)第3の6「認容された発信者情報開示請求等の費用の額」。法務省「不法行為に基づく損害賠償請求に関する国内外の制度等に関する調査・研究について」
- 民法709条(不法行為)、724条(消滅時効)、情報流通プラットフォーム対処法(旧プロバイダ責任制限法)5条(発信者情報の開示請求)、8条(発信者情報開示命令)、民事執行法196条以下(財産開示手続)、204条以下(第三者からの情報取得手続)

サイバーアーツ法律事務所 弁護士(東京弁護士会、2007年登録)。インターネット上の権利侵害に関する事件のみを扱う。